おぢさんのつぶやき -山崎篤史ー

とうとう50代突入してしまいました。白髪が増えてきたおぢさんですが、たまに書き込もうかなぁと思います。

自分をさらけることの難しさ

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物事を正しく認識して、正しく評価し、正しく行動をするって、、、
メチャクチャ難しいことです。

 

ここ最近、この問題にちょいちょい直面してまして、まぁまぁ落ち込んじゃったりしています。

 

結局自分は、物事を正しく認識して、正しく評価し、正しく行動することが出来ていない。
普段の生活でできていることを、違うステージに移ったとたんに全くできなくなる。
それじゃダメだって。。。

 

なんで?
このステージでも普段と同じ思考、行動をとってると思ってるし、そうしようと思って行動してるんです。
少なくとも、自分はどのステージに移っても、自分であり続けようとしているのですが、全くそうなっていないのです。

 

普段の生活から離れた場所に移ったとたんに、全くの別人に変身してしまってるんです。
しかもタチが悪いことに、自分の立ち位置は全く変わっていないと思い込んでいるところ。。。
指摘されるまで全く気が付いていないのです。

 

指摘を受けることで、はたと気付き、自分の無能さに恥ずかしいような、自己嫌悪にさいなまれている感じ…

自分も50歳を超え、それなりに人生経験も積んできました。
私の矛盾点を指摘してくれる方の言いたいことは十分理解していると思います。
自分も指摘を受けたことに全く同意しています。
その通りだってね。

 

彼からは、いかに自分をさらけることが出来るのかが、成功のカギだって教わりました。
私もそう思うし、それがすべてだと思いました。
ですから、その話に感銘を受けたからこそ自分を隠すのではなく、自分をさらける方向にシフトするように努力をしてきたつもりです。

 

私は、人は独りで生きていけないと思っています。
ひとは、生まれてから死ぬまで、周りの人とかかわって生きていくのです。
もうちょっと、突っ込んで話すと、お互いに迷惑をかけあって生きているのだとも思います。
そんなこと常識だと思って生きてきました。

 

でも、現実それが出来ていないから、私は鬱になってしまったんです。
自分を隠そう隠そうとしたから、鬱になったんです。
自分の心に噓をついていたから、本当の自分との乖離が大きくなり、結果的に鬱になってしまったんです。

 

結局、自分に嘘をつく人生を歩むことって、自分にとって非常に危険なことだって理解したんです。
理解することが出来たんです。

 

たぶん、私にそのことを教えてくれたひとに言われる前から、自分も気づいていたはずなんです。
自分の深層心理の中では、それが正解だってわかっていたはずなんです。
でも、できていなかったら、理解できていない、わかっていないって話なんです。

 

再認識させられたのであれば、実行しない手はないじゃないですか。
だって、それが正解なんだから…
少なくとも、私にとっては正解なんです。
自分をさらけないといけないんです。

 

だから、自分をさらけるためには、他人に嫌われる勇気も必要なんだと思います。
自分をさらけ出して、自分の主張もしっかり行って、そして嫌われるのであれば、それはそれで仕方がないんです。

 

だから、周りの人と共存して生きていく上に絶対に必要なものは、自分自身に正直ってことなんです。
自分を含め、あなただって、何を考えているかわからない奴と一緒に生きていくなんてまっぴらだと思いませんか?

 

自分は、そのような自分を隠すような奴に、自分の貴重な時間を費やす気はさらさら沸きません。
私がそう思うのであれば、あなたもそう思うはずなのです。
あなただって、得体のしれない奴に自分の人生の貴重な時間をささげようとは絶対に思わないはずなんです。

 

だからこそ、嫌われることも厭わず行動をしてきたつもりだし、自分の周りの人にも幸せになってもらいたいからそのように話をさせてもらっていました。

 

だけど、ステージが変わった瞬間にそれが全くできていないんです。
それどころか、できていない自分に気づくことさえできていないのです。
その事実を突きつけられたさいに、実社会において自分が訴えてきたことが急に陳腐に見えてしまい、自己嫌悪に苛まれてます。

 

とにかく、せめて立つ位置が変わったとたんに自分をさらけることが出来なくなっているということだけでも、記しておかなければ先に進めないし、進むわけにはいかないのではないかと思いました。

 

とりとめのない話で申し訳ありませんけど、、、
行動しないことには始まらないので、
今日の話は、はじめの一歩ってことです。
そうなればいいな。