みなさんこんにちは
山崎篤史です。
この前もおんなじこと書いちゃいましたけど、ここ近年毎年のように数十年に一度の災害って報じられてますね。
何十年に一度が毎年起きちゃうと、なにが何十年ぶりかわかんなくなっちゃいます。
我々は、何十年に一度の災害って概念を変えないといけないところに、岐路に立たされています。
これって自分たちが幼少のころの時代よりも格段に、瞬間的な判断力が求められる・・・
個人の考える能力が試される時代になったんだと痛感しています。
自分を含めてなんですが人間の悪いところがあって、「対岸の火事」って言葉があるじゃないですか。
いろんな問題が生じたときに、自分の身の回りに起きていないと深く考えないんですよ。
自分とは関係ないってどこかで思ってしまってるんですよね。
それに関しては自分も全くその通りなんで反省しないといけないって思ってます。
これも以前書いたことなんですけど、自分が変わらなければ何事も変わらないし、自分が変われば世界が変わるんです。
そのためには一所懸命考えて、この時代にマッチしたっていうか、物事にジャストフィットした答えを自分のこころの引き出しに保管する必要ってあるはずなんです。
確固たる自分の答えを持っていないと、一昔前ではとても想像できなかった、世の中の流れという濁流にあっという間に飲み込まれてしまうことになります。
だから絶えず考え続けないといけないと思います。
自分は個人的に「べき」って言葉を使うのは好きではありませんが、申し訳ありませんが使わせていただきます。
自分が生き残るためには絶えず考え続けるべきであると。
時代に対応し続ける能力を磨き続けるべきだと。
先日とても興味深い記事を見つけました。
この記事をちょっとみてもらえたらご理解が深まると思います。
バッタでさえと言ったらバッタに失礼なんでしょうけど、、、
彼らは種の保存のために自らが変わって、環境に、時代に適合しようとしています。
彼らも生きるために必死なんです。
バッタでさえ生き残りをかけて自らを変身させているんです。
我々だって、バッタに負けない能力を持っているはずです。
その気になりさえすれば、変われるはずなんです。
ただ「対岸の火事」が必ずしも「対岸の火事」ではないことに気付くことさえできたら、、、
可能なんです。
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