おはようございます。
山崎です。
今年の元旦のブログで一度書いたんですが...
もう一度胸に刻もうと思い書こうかなと思います。
以前の文章を読み返していたら最初の頃って酷いですね。
今も上等っていう訳じゃありませんけど。。。
うちの親父は教師をしていました。
息子に自分が言うのはおかしいかもしれませんが、人望はあったと思います。
特に教え子からの信頼は絶大だったのではないのでしょうか。
じぶんの同級生のひとも結構うちの親父から習っている者が多かったようなんですが、あの先生の息子ってことで、ずいぶん得したことがありました。
ちなみに学校の先生からはおまえは山崎先生の息子か?って言われたりすることも多々ありましたけど。。。( ノД`)シクシク…
いまだと問題になるかもしれませんが、僕の同級生の話によると授業であんまり教科書って使わなかったようです。
教え方もほかの先生と違って楽しかったって言ってました。
授業中に眠そうにしている生徒がいたら、眠るな!
じゃなくて、ちゃんと眠れ!って言ってたみたいです。
眠いのを一日中我慢して授業を聞いたって全然頭に入らないし、この後の授業にも悪影響が出るので、今寝ていたほうが合理的って言われたらしいです。
その話を同級生から聴いたとき、さすが親父すばらしい!って思いました。
ほとんどの教師って居眠りするなっていうけど、眠いのを我慢していても合理的じゃないのって明らかです。
仮に自分が生徒だったら教師がそんなこと言ったら惚れちゃうだろうって思います。
自分の考えと一緒じゃん!なんて思ったりしてました。
(当たり前ですよね息子なんだから・・・)
ちょっと大げさに言うと、うちの親父は現状を把握して、事実に基づいてよりよい策を講じているんです。
なにが効率的かってことを絶えず考えて行動してるんだろうなぁって思いました。
そんな父親が、自宅の庭に墓地からお墓を移してきました。
なんでも、お墓参りとか、世話をするのが難しくなってきたから。。。
そして音信不通になっていたフィリピンの女の子に生きてるうちに会えるかわからないので、仮に直接会えなくても教えたいことがあるから墓を移してきたとのことでした。
それが一月一日にぼくが一度書いたブログのことです。
あなたに贈る詞
教えるとは 事実に基づいて
希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸に
今日を生きること
墓碑にその詞を刻むときにその子に会えるという確信はなかったのかもしれません。
自分の命がついえたとしても、伝えたかった事、伝えねばと思った事だったんだと思います。
正月のブログにも書いたんですが、父はその子に伝えたかったんだと思います。
教師である父は、物事を教えるときには、希望を語らないといけない。
未来の事なんか本当は誰にも分かりません。
結果的には希望を語るって事は、嘘を語るって事になるのかもしれません。
それでも教える者は、希望を語り続けないといけない。
また学ぶ者は誠実に耳を傾けないといけない。
誠実に行動しないといけない。
過去や未来に囚われず、その瞬間瞬間を精一杯生きることが学ぶことなんだと言っています。
この話って皆さんにも当てはまるんじゃないかって思います。
我われは夢が無いと、希望が無いと生きていけません。
逆にいうと、夢や希望があれば生きていけるんです。
夢を、希望を語ることが今日を生きることにつながる筈なんです。
だから、毎日夢を希望を語り続けないといけないんです。
そして語るからにはそれに近づけるように努力をするべきなんです。
努力するって言ったら大げさに聞こえるかも知れないんですが、努力って何って考えたら。。。
今日を一生懸命生きるってことに繋がります。
夢、希望を持って今日を一生懸命に生きる。
これこそが我われひとが生きていく上で一番大切なことなんじゃ無いかって思います。
追伸:フィリピンの女の子は年末10年ぶりにうちの実家に帰省しました。
そのときこの墓碑を見てもらったんだけど、まだなんのことだかピンときていませんでした。
そりゃ、そうだよね。二十歳そこそそで理解されたら我われ立つ瀬が無いですからね。
それとメンタルが低下してる方もいらっしゃるかと思います。
なかなか夢を持てと言われても難しいと思います。
自分がそうでしたから。。。
それは重々承知してます。
でも、ちょっとのことでもいいから夢、希望を持って欲しいなぁって思います。
--------------------------------------------------
↓ この記事が面白いと思ったらポチっと!