みなさんこんにちは
山崎篤史です。
最近、ヒマなときにyoutubeを見たりしてます。
いろんな動画がアップされていて、TVを見るより有意義な時間が過ごせているんじゃないかとも思ってたりします。
めちゃくちゃ、お堅いものからゆる~いものまで。。
いろんなチャンネルを見てると時々自分の琴線に触れる動画が何かの拍子に見つかって。。
多分それってタイミングなんでしょうけど。
昨日見たって駄目だっただろうし、明日でも駄目だったと思うんです。
今日だったから琴線に触れたって思います。
先日ぼくが見つけた動画配信なんか、おそらく現在の僕の精神状態にマッチしたんだと思います。
これが一か月前とか一か月後だったら食い入るように観ずに素通りしてたのかもしれません。
いかにタイミングが重要かってことですね。
ところで、自分がお気に入りの動画配信が気持ちいいくらいに叩かれています。
コメント欄は失辣な書き込みであふれている状況です。
元々は一個人がいちゃもんを付けて、周りがそれに乗っかってそして雪だるま式に増えていってる状況です。
もう、問題の本質をとらえれている人ってほとんどいないんじゃないかな。
ある意味お祭り騒ぎになってます。
先日そこのコメント欄でどうしても気になることがあって、書き込んだんです。
ぼくも書き込みしなきゃよかったんですけど。。
どんなコメントに溢れてたかっていうと
く○!とか○ね!とか。。
まぁまぁ上記も結構堪えると思うんだけど、メンタルをもっとえぐる言葉があります。
「○○するべき!」です。
これは堪えると思いますよ。。
すべきっていうひとって、自分がちょっとできる人っていうか上からものをいうような感じのの方が多い気がします。
それに対して僕もよしたらいいのに反応して書き込んでしまいました。
配信者に向けて、他人が何を言おうと自分が正しいと思うなら貫く『べき』って。
そしたら僕の書き込みに対して貫くべきってどういうつもりか!
って批判の書き込みがバァーっと羅列されました。
配信主ってなんら法的にも非難されるようなことをしてるわけ時じゃないし、そのうえ事実に反する事を言われています。
反論したら、なに反論してるんだーって言われてかわいそうです。
他人に対して『~べき』っていうひとは思いどおりにならないと、相手に対して腹を立てたり、批判的に話を持っていきます。
本人は良かれと思って言ってるのかもしれませんが、所詮は他人がいうことなんですよね。
他人をコントロールしようって思うのがそもそも驕ってるんです。
他人である僕の言葉に反応して、自分のこともコントロールできない人が他人をコントロールしようなんて…ちょっと残念な感じです。
結局何が言いたいかっていうと、『べき』という思考は手放したほうが、人生が楽になるんじゃないかって話です。
この『べき』が自分に向ったら、自己肯定力の低下につながります。
自分はこうあるべきと思いながら行動する事で、必要以上に自分に対してプレッシャーをかけ、がんじがらめになってしまいます。
その結果、思いどおりにならなかったときに、さらに自分を責めてしまうという悪循環に陥ります。
他人に向ったら、その他人の自己肯定力が低下します。
まったくもって生産性がないと思います。
百害あって一利なしです。
『~べき』っていう思考をできるだけ手放してみたらどうかなぁと思います。
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