幸せを求めすぎることは幸せの大きな障害になる
ベルナール・フォントネル(フランスの文人・思想家)
「幸せを追い求めるほど、なぜ私たちはつらくなるのか?」
冷たいコンクリートに触れた朝の駅プラットフォームで、
そんな疑問が胸をよぎりました。
コーヒーの香りが鼻をくすぐる一方で、
スマホに表示される他人の成功が、
私の胸をひりひりと傷つけるのです。
ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル(1657–1757)は、
フランスの博覧強記の教養人として知られます。
彼は『天文学夜話』をはじめとする著作で、
科学や哲学を貴族や市民に分かりやすく届けました。
その軽妙な語り口と豊富な知識で、
啓蒙思想の先駆けと称されます。
フォントネルは、「理想を高く掲げすぎると、
現実の小さな喜びを見失う」と説きました。
この言葉は、300年以上を経た今も色あせることなく、
私たちの心に響いています。
期待過多の渦に溺れる私たち
朝日がオフィスの窓を赤く染める頃、
あなたは何を思い浮かべるでしょうか?
「もっと成果を上げなければ」と自分に言い聞かせる人。
「隣席のあの人よりも評価を高めたい」と焦る人。
そんな思考に、自分自身が囚われていませんか?
内閣府「国民の生活に関する世論調査(令和5年版)」では、
「自分の生活に満足している」と答えた人は約60%にとどまります。
一方で、ビジネスパーソン向けの自己啓発書やセミナー市場は拡大を続け、
「もっと高みへ」という声は増え続けています。
期待が大きければ大きいほど、
それだけ見落とす日々の幸福は多くなるという逆説。
それが、フォントネルが指摘した障害なのです。
イチローが教えてくれた「一打席ごとの集中」
東京ドームのグラウンドに立つイチロー選手。
芝生の緑が光を反射し、
バットを握る手の感触がひんやりと伝わる。
観客席のざわめきが選手を包み込む瞬間、
彼は未来を思い描かず、
ただ「いま、この一球」に全神経を注いでいました。
「結果はコントロールできない。
一打一打にベストを尽くすだけだ」
この言葉には、
過度な期待を手放し、今に集中する智慧が宿ります。
ジョアンナ・スミス教授の五感リサーチ
ニューヨーク。
秋風が街路樹の葉を散らし、
車のクラクションが遠くでこだまする。
コロンビア大学心理学部のジョアンナ・スミス教授は、
期待値と幸福感の関係を20年にわたり追跡研究しました。
彼女の調査によると、
高い期待を抱く人ほど、
「小さな日常の喜び」に気づきにくくなるそうです。
たとえば、朝のカフェラテの香りすら、
「当たり前の体験」に留まってしまうのです。
期待をほどく五感ワーク
1. 香りを深く吸い込む
淹れたてのコーヒーを顔から少し遠ざけ、
息をゆっくりと3回吸い込みます。
苦みの奥に甘みが見え隠れする香りに意識を集中すれば、
「いま、ここ」への感度が高まります。
2. 周囲の音を紡ぐ
オフィスや街の雑踏を、
イヤホンを外して1分間だけ聴いてみましょう。
パソコンのファン音、
隣席のキーボード音、
遠くの自動販売機の自動音――
五感を研ぎ澄ませる体験が、
心を落ち着かせてくれます。
3. 触覚を丁寧に感じる
資料の紙の手触り、
机のひんやりとした表面、
マウスの滑らかなカーブに触れる指先――
視覚以外の感覚にフォーカスすることで、
思考の雑音がすっと静まります。
期待と自己選択のリフレーミング
期待とは、未来への賭けでもあります。
しかし投資にはリスクが伴うように、
期待ばかりに心を預けると、
現在の価値を見失ってしまいます。
そこでおすすめしたいのは、
期待を「選択」に置き換えることです。
「昇進できたら幸せ」ではなく、
「キャリアを活かすために何を選ぶか」へ。
「年収アップできたら安堵」ではなく、
「スキル習得を選ぶ自分」へ。
このマインドは、
自分の意思に根ざした幸福感を育みます。
幸福は遠くない
私もかつて、
「いつか手に入れる成功」を追いかけるあまり、
目の前の喜びを見逃していました。
しかし、
ある朝聞いた小鳥のさえずりで立ち止まり、
「これだけで十分豊かだ」と気づいたのです。
その瞬間以来、私は幸福を
「遠い目標」ではなく、
「日々の感覚」と捉えるようになりました。
深堀考察:網目を粗くするということ
フォントネルは、「幸福の魚が逃げる網」を例えに使いました。
網の目を細かくしすぎるほど、
小さな魚はすり抜けませんが、
大切な魚までもが詰まってしまいます。
網の目を粗くすれば、
日々の小さな幸せがすり抜けず手に残るのです。
心理学用語で言う「未来価値の割引率」も同様で、
未来へ価値を重く置くほど、
現在の価値を切り捨てがちになります。
このメカニズムを理解し、
網目を粗くする――つまり、
五感で感じる今を大切にする習慣が、
心の自由を取り戻してくれます。
結び:今こそ幸福の網をほどこう
夕暮れのオフィス。
窓外を朱色に染める光が、
一日の終わりを知らせます。
そっと手を止め、
窓に映る自分の顔を見つめると、
思いのほか穏やかな表情がそこにありました。
私は願います。
あなたが期待の網目をゆるめ、
今この瞬間の香り、音、触感を味わい、
小さな幸福をすくい取る日々を歩めますように。
どうか今日、ほんの一呼吸だけ、
「いま」を感じてみてください。
幸福は、遠くではなく、
あなたの手のひらの中にあるのです。