「怒鳴られて反省する者などいない」
「怒りは怒りを招くだけ」
おはようございます。
山崎篤史です。
私は週1,2度ほど車で1時間半ほどかけて、他の薬局のお手伝いに通っています。
そこで、若い事務さんから色々と愚痴などを聞くことがあります。
その殆どが、上司(薬剤師や歳上の事務さん)から理不尽と思える叱責を受けていると言う事です。
この話を聞いていて、なかなか対応策が見出せないでいます。
何故かって言うと、私のみている前では、決してそのようなそぶりを見せないからです。
現行犯でない限り、私がそれらの人たちに注意ができないのです。
私がみてないのに、叱責したらだめだと注意する事になると、その事務さんが私に告げ口をしたと言う事になり、私がいない時により一層理不尽な事を言われかねないのです。
調剤薬局のように小さいコミュニティで、自分の仲間である人たちを締め付けるような態度を取る意味が、私には全く理解できません。
正直言って、アホじゃないかって思っています。
怒鳴られて反省する人なんかいないのに、何考えてるのだろう?
今回はこの事について、考察してみようと思います。
人生には様々な困難や試練が待ち受けています。
しかし、それを乗り越えるには、怒りではなく、理解と思いやりの心が必要不可欠です。
「怒鳴られて反省する者などいない」「怒りは怒りを招くだけ」
このような言葉は、怒りの連鎖が生み出す悪循環を表しています。
確かに、人は怒りによって意識を改めることはありません。
むしろ、怒りが新たな怒りを呼び起こすだけなのです。
例えば、職場で上司に怒鳴られた部下は、その怒りから上司への反発心を抱きます。
そして、その反発心がさらなる怒りを生み出すでしょう。
結果として、お互いの関係が損なわれ、生産性が低下してしまうのです。
まさにうちの他店舗で行われている状況ですね。
一方で、もし上司が冷静に部下の過ちを指摘し、改善点を丁寧に説明していれば、部下は感謝の気持ちを抱くはずです。
そうすれば、部下は自らの過ちに気づき、前向きに改善に取り組めるでしょう。
怒りは怒りしか生みません。
しかし、思いやりの心から生まれる寛容さは、人と人との絆を深め、お互いを高め合うことができます。
私たち一人ひとりが、この大切な教訓を肝に銘じるべきです。
怒りの感情に流されるのではなく、冷静に相手の立場に立って考えることが不可欠なのです。
怒りは一時の感情に過ぎず、それ自体に建設的な意味はありません。
かえって、関係を損ね、お互いを傷つけてしまう原因となります。
怒りの代わりに、理解と思いやりの心を持つことで、人と人との絆は深まります。
例えば、子育ての場面でも同じことが当てはまります。
子どもがいけないことをしても、親が怒鳴り散らすだけでは何の解決にもなりません。
むしろ、冷静に子どもの気持ちを汲み取り、適切な指導をすることが大切なのです。
怒りよりも、思いやりと愛情に基づく寛容な心が、子どもの成長を助けるのです。
怒りは一時的な感情に過ぎず、建設的な意味はありません。
しかし、相手の立場に立って思いやることができれば、お互いを高め合える関係が築けます。
怒りが生み出す悪循環に気づき、それを断ち切ることが私たち一人ひとりに求められています。
物事を冷静に受け止め、相手の気持ちを理解しようと努めること。
そしてお互いを思いやり、寛容な心で接することが、人と人との絆を深める鍵となるのです。
怒りではなく、思いやりの心を持ち続けましょう。
そうすれば、きっと人生がより豊かなものになることでしょう。