Education is a progressive discovery of our own ignorance
(教育とは自分の無知を発見していくこと)
「学ぶ」とは、知識を増やすことじゃない
毎日を忙しく生きていると、ふと立ち止まる瞬間があります。
「自分は今、何かを学べているだろうか?」と。
知識は増えている。でも、本質には届いていない。
そんな違和感を覚えたとき、思い出してほしい言葉があります。
「教育とは、自分の無知を発見していくこと」
これは、アメリカの哲学者・歴史家であるウィル・デュラントの言葉です。
多くの人が「学ぶ」と聞いて想像するのは、新しい知識を詰め込むこと。
けれど、デュラントが語った「教育」の本質はそうではありません。
本当の学びとは、自分の中にある“わかっていなかったこと”に気づく過程なのです。
ジョブズはなぜ大学をドロップアウトしたのか
この考え方を体現した人物のひとりが、スティーブ・ジョブズです。
Appleを創業し、世界のテクノロジーを変えた男。
ジョブズは大学を中退したことで有名ですが、決して“学び”を捨てたわけではありません。
彼は、自分にとって意味のあることしか学ばないと決めたのです。
在学中、彼は履修をやめたあとも、カリグラフィーの講義にこっそり通い続けました。
「なぜ、文字の形にこだわる必要があるのか?」
「なぜ、美しさが大切なのか?」
この“意味のないように見えた講義”が、のちのMacintoshに搭載されたフォント機能の美しさにつながっていきます。
ジョブズは、自分にとって意味のある無知を大切にした人だったのです。
知っているつもりで、見落としていませんか?
「わからないことを、わからないままにしていないか」
これは、今の私たちがもっとも問うべき問いです。
プレゼンでの質問に答えられなかった。
部下からの疑問にしどろもどろになった。
「これはこういうものだ」と思い込みで処理してしまった。
これらはすべて、自分の中の“盲点”に気づけていない証です。
わたしは、「知っていること」ではなく「知らなかったこと」にこそ、学びの芽があると考えています。
本当の知性とは、「知らない」と言えること
ソクラテスはかつて「無知の知」を説きました。
それは、「自分が何も知らないと知ることが、賢者の第一歩である」という思想です。
これはデュラントの言葉と驚くほど響き合います。
つまり、真に賢い人とは、「私はまだ十分に知らない」と言える人なのです。
日本でも、かつて本田宗一郎氏が同じようなことを語っています。
「人間、知ってるつもりが一番怖いんだよ」と。
なぜ、大人になると学びが止まるのか
社会に出ると、多くの人は「教わる側」から「教える側」になります。
すると、学びの姿勢がどこかで失われてしまう。
理由はひとつ。
「知らない」と言うことに、恥ずかしさを感じるようになるからです。
けれど、そこにこそ成長の種があります。
わからないことは、可能性の入り口。
むしろ「知らない」と素直に言える人こそ、どこまでも伸びていけるのです。
「無知を発見する」ためのシンプルな習慣
無知を力に変えるには、大げさなことをする必要はありません。
わたしが実践しているのは、“週に一度の内省”です。
方法は簡単です。
日曜日の夜に、こう問いかけるのです。
「今週、“わかっていなかったこと”は何だろうか?」
「どの場面で、思い込みがあっただろうか?」
それをメモに残すだけで、自分の学びが“深さ”を持ちはじめます。
知識の多さではなく、問いの鋭さが、思考の深さを決めると、わたしは信じています。
人は、知らないことを認めたときから変われる
スティーブ・ジョブズがカリグラフィーを学び、マイクロソフトのサティア・ナデラが「傾聴」から経営を始めたように、
真に成長するリーダーは、例外なく「自分の無知」と向き合っています。
彼らが特別なのではありません。
彼らが“特別な問い”を自分に投げかけていただけなのです。
わたしたちもまた、毎日の中で小さな問いを投げかけることができます。
それが人生の流れを変える第一歩になります。
結びに:知の余白を持とう
知っていることは武器になります。
けれど、それだけに頼ってしまえば、成長は止まってしまいます。
教育とは、決して“誰かから教わる”ことだけではありません。
それは、「自分の知らないことに気づいていく」日々の営みなのです。
ウィル・デュラントの言葉は、私たちにそう語りかけています。
あなたも今日、ひとつだけ「知らないことを知る」時間を作ってみませんか?
未来のあなたは、きっとその小さな選択を感謝するはずです。