おぢさんのつぶやき -山崎篤史ー

とうとう50代突入してしまいました。白髪が増えてきたおぢさんですが、たまに書き込もうかなぁと思います。

「共感が人を動かす|リンカーンに学ぶ変革リーダーの本質」

スポンサーリンク

「敵を味方に変える」
リンカーンの共感力に学ぶ

 

 

心を閉ざされた瞬間、あなたはどうする?

誰かと真剣に向き合って話をしているとき。

ふとしたひと言で、相手の顔がこわばる瞬間があります。
空気が冷たくなり、言葉が先へ進まなくなる。
そんな経験はありませんか?

私も、チームのミーティングで発言した直後、部下の目が伏し目がちになり、沈黙が流れたことがあります。
何も言わないけれど、拒絶されたのだと肌で感じました。

この「伝わらなさ」にどう対処すればいいのか?
そこでふと思い出したのが、アメリカの偉人リンカーンの言葉でした。

もし相手を自分の意見に賛成させたければ、まず諸君が彼の味方だとわからせることだ。

これは単なる優しさの提唱ではありません。
人の心の扉を開くための、極めて実践的なリーダーシップ論なのです。

この言葉に込められた本当の意味を、今、改めて掘り下げてみたいと思います。

 

 

リーダーがぶつかる「共感の壁」

現代のビジネスでは「共感力」が重要だと盛んに言われています。
しかし、それが簡単でないことは、誰しも肌で感じているのではないでしょうか。

共感とは、相手に合わせてうなずくことではありません。
表面的な同調では、むしろ不信を招くことすらあります。

本当の共感とは、相手の内面にある不安や価値観を受け取り、それに対して誠実に立ち向かう姿勢です。
つまり、相手の立場に身を置く"覚悟"がいるのです。

では、リンカーンはなぜこの言葉を残したのでしょうか?
それを探るために、彼のリーダーとしての道のりをたどってみましょう。

 

 

敵を抱きしめる覚悟を持った男、リンカーン

エイブラハム・リンカーンは、南北戦争という国家の危機に直面しながらも、決して敵を憎む姿勢を見せませんでした。

奴隷制度に反対しながらも、南部の人々を責め立てるような言動を控え、むしろ彼らを理解しようと努めました。

ゲティスバーグ演説の中でも彼は、死者を悼むだけでなく「我々生きる者がなすべき義務」に言及しています。
つまり、対立を越えて共に歩む未来に、目を向けていたのです。

彼は敵とされる者たちを裁くのではなく、その痛みや信念に耳を傾ける姿勢を貫きました。
だからこそ、彼の言葉には重みがあるのです。

「まず相手に、自分が敵ではないと示すこと。」
この前提なしに、説得は成立しないと彼は理解していました。

 

 

実践:共感は"行動"で示すもの

私たちが日々の仕事で「共感」を発揮しようとするなら、何が必要なのでしょうか?

まず大切なのは、相手の感情を言語化することです。

たとえば、「この変更、ちょっと不安ですよね」と口にするだけで、相手の心はほどけることがあります。

次に、自分の意見を一方的に押しつけないこと
「私はこう考えているけれど、どう感じますか?」と問いかける。
その余白が、対話を可能にします。

そして何より大事なのは、共通のゴールを見つけること

「最終的に目指しているのは、お客様の満足ですよね」と言えば、敵対的だった関係も、少しずつ同じ方向を向いていきます。

これはきれいごとではなく、私自身が実際に実感してきたことです。
多くの衝突が、"誰が正しいか"の争いではなく、"なぜそれを大事に思うのか"の理解不足から生まれていたと気づいたからです。

 

 

五感を研ぎ澄ますリーダーシップ

共感力を高めるには、言葉だけでなく、五感を研ぎ澄ませる必要があります。

声のトーン、沈黙の長さ、目の動き、姿勢のわずかな変化。
これらのサインを見逃さず、"場の空気"を感じ取る力こそが、共感を支える土台になるのです。

私が若い時ある問題で苦戦していたとき、リーダーのひとりがそっと言ってくれた言葉があります。
「最近、肩に力が入ってるように見えるけど、大丈夫?」

そのとき、自分が張り詰めていたことに、初めて気づきました。

共感とは、相手の感情に"気づく力"。
それはときに、沈黙の中にこそ宿るのです。

 

 

結論:共感は戦略ではなく、生き方そのもの

リンカーンが生涯をかけて示したのは、""とされる相手すら、共に歩む仲間になり得るということでした。

これは単なるコミュニケーション術ではありません。

人を動かすための戦略ではなく、人と生きるための"哲学"です。

私たちもまた、日々の仕事や人間関係の中で、多くのすれ違いや誤解に直面します。

そんなときこそ、リンカーンの言葉を思い出したいのです。

「この人は、敵ではない」
「この人の背景には、まだ私が知らない物語がある」

そのまなざしが、共感の始まりです。

共感は、正しさを競うものではありません。
それは、"理解したい"という意志を持ち続けること。

そしてそれは、誰にでもできることです。

明日、あなたが出会う誰かに。
まず「私はあなたの味方です」と、態度で示してみてください。

たったそれだけで、世界の見え方が少し変わるはずです。