勝負を避けた者に、勝ちも負けもない。
忌野清志郎の言葉と、マイケル・ジョーダンの“敗北哲学”から学ぶ挑戦の本質
勝負を避ける理由に、正しさはあるのか?
「できるだけ傷つかずに、波風を立てずに生きていたい」
そんな願いを、誰もが一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。
特に社会人になり、責任や人間関係に揉まれていると、
“挑戦しないこと”が最も安全で、最も賢い選択に思えてきます。
でも、それは本当に正しいのでしょうか?
かつて、忌野清志郎というミュージシャンがこう言いました。
「勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ?
でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ」
この言葉は、音楽業界だけではなく、私たちの生き方にも深く刺さる真理です。
マイケル・ジョーダンも負けてきた
「勝ち続けた人間」の代表として、マイケル・ジョーダンの名前を思い浮かべる方も多いと思います。
彼はNBAの伝説的プレイヤー。6度の優勝。5度のMVP。
しかしその裏に、誰よりも多くの失敗がありました。
ジョーダン本人は、あるインタビューでこう語っています。
「私はキャリアの中で9,000本以上のシュートを外してきた。
試合に負けたことは300回以上。最後を任されたシュートを26回外した。
それでも成功できたのは、失敗し続けても挑戦し続けたからだ」
この言葉は事実に基づいています。
彼のスタッツを見れば、成功率だけでは語れない「試行回数」が存在します。
ジョーダンは勝負を“避けなかった”からこそ、敗北を糧にできたのです。
私たちはなぜ勝負を避けてしまうのか
一歩を踏み出せない理由は、単純ではありません。
それは、「挑戦=危険」と感じてしまう記憶のせいかもしれません。
過去に、頑張ったのに報われなかった。
勇気を出して行動したら、笑われた。
そんな記憶が、“もう傷つきたくない”とあなたを縛ってしまう。
でも、私が思うに──
その記憶があるということは、かつてあなたは「挑戦していた」証拠です。
一度は勝負の舞台に立っていたのです。
だからこそ、もう一度そこに戻る資格は、誰にでもあると思います。
“勝負する習慣”を取り戻すために必要な視点
挑戦とは、大きな一発勝負を意味しません。
日常のなかで、自分の「慣れ」や「保身」と向き合うことが、すでに勝負なのです。
たとえば──
・言いたいことを我慢していた会議で、初めて意見を出す
・いつも誰かに任せていた企画を、自分で提案してみる
・完璧ではなくても、投稿ボタンを押して発信してみる
こうした小さな行動こそ、“勝負する人”の最初の一歩です。
勝負は特別な舞台で起こるわけではありません。
毎日の中に、いくらでも転がっています。
忌野清志郎も「正解」を拒んだ男だった
清志郎は、常に既存の価値観やルールに挑んだ人でした。
彼のロックは、綺麗ごとではなく、社会への違和感や怒りを真正面から歌にしたものです。
1980年代、テレビの歌番組では「反戦ソング」を理由に出演NGを出されたこともありました。
しかし彼はひるまず、「歌いたいことを歌うのがロックだろ?」と姿勢を崩しませんでした。
この態度はまさに、“勝負し続ける人間”の姿勢そのものです。
売れたい、受け入れられたいという気持ちは誰にでもあります。
でも、そこに合わせて自分を変えてしまえば、自分自身に負けてしまう。
清志郎が伝えたかったのは、そういう“内なる勝負”なのだと思います。
挑戦する人間だけが、未来を手にできる
大きな成功の裏には、必ず小さな挑戦の積み重ねがあります。
マイケル・ジョーダンも、忌野清志郎も、
一発逆転ではなく、“何度でも勝負する力”を持っていた人です。
そしてこれは、特別な人間だけの話ではありません。
どんな人にも、この“勝負の火”は眠っている。
問題は、それを再び灯すかどうか──
それだけなのです。
「自分には無理だ」と思ったときこそ、勝負どき
「自信がない」
「きっと失敗する」
「もう若くない」
そう思ったときにこそ、心の中で問いかけてみてください。
「それでも、やってみたいか?」
もし、心のどこかで「うん」と答える自分がいるなら、
それがあなたの“勝負のサイン”です。
あなたが何かを始めようとしている、その瞬間こそが、
誰よりも自分に対して、背中を押しているということなのです。
最後に:今日、あなたはどんな“勝負”をしますか?
挑戦しないことは、安全かもしれません。
でも、挑戦しなければ何も変わらない。
変化がない人生に、人は飽きてしまいます。
そして、自分に失望してしまう。
だからこそ──
清志郎の言葉を、どうか心に置いてください。
「勝負しない奴はもう負けてるんだよ」
今日、あなたはどんな“勝負”をしますか?
たとえ小さくても、その一歩が未来を動かします。
次の扉を開ける鍵は、他の誰でもない。
“挑戦するあなた”自身が、すでに握っているのです。