「お互い分かり合えているというのは幻想」
お互いあなたのことは言わなくてもわかるとか、分かり合えているとか耳にすることありますよね。
阿吽の呼吸とか、ツーといえばカーですか。
なんでも分かり合えているから、瞬時に対応できるとかってあるじゃないですか。
実際私もそのような感情を抱くことは多々あります。
ですが、実はその考えは危険なことではないかと思います。
今回は、その「お互い分かり合えているというのは幻想」について考えてみます。
「お互い分かり合えている」と感じることは、人間関係において非常に心地よく、理想的な状況と思われがちです。
しかし、実際には互いの認識にズレがあることが少なくありません。
言葉を交わさずとも、瞬時に相手の気持ちが分かり、素早く適切に対応できる、そんな関係性は一見理想的に見えます。
しかし、そこには大きな危険性が潜んでいるのです。
この「お互い分かり合えている」という幻想は、主に二つの要因から生じると考えられます。
一つ目は、長年の付き合いから生まれる「慣れ」です。
夫婦や親子、長年の友人関係などでは、お互いのこと行動パターンをよく理解しているため、言葉を交わさなくても察しが働くことがあります。
しかし、それは単に外面的な行動を予測できるだけの話であり、相手の本当の気持ちを理解しているわけではありません。
例えば、妻が「疲れている」と言わずとも、夫はいつもの仕草から気付く、といった具合です。
しかし、その「疲れ」の原因が、単に家事や育児の大変さからくるものなのか、夫婦関係への不満からくるものなのか、それとも別の深刻な問題があるのかまでは、なかなか分かりません。
長年の付き合いで見た目の変化は読み取れても、内面の本当の気持ちまでは理解し難いのが実情なのです。
二つ目は、自分の価値観で相手の気持ちを推測してしまうことです
たとえ長年の付き合いでなくても、「自分がこうだからあの人もこうだろう」と過剰に推し量ってしまいがちです。
自分の経験則から相手の心理状態を推測するわけですが、人間一人一人が異なる個性やバックグラウンドを持っていることを考えれば、これは極めて危険な発想なのです。
こうした「分かり合えている」錯覚に囚われていると、互いの気持ちを深く理解しあうことができずに、かえってズレが生じてしまう可能性があります。
そうなると、言葉を交わさずに適切な対応ができないばかりか、余計に問題が大きくなってしまうでしょう。
お互いを本当に理解するためには、こうした幻想から抜け出し、「一人一人がそれぞれ異なる個性を持つ存在」であることを自覚する必要があります。
自分と相手は別々の人間であり、たとえ親しい間柄でも、互いの気持ちは常に微妙に異なっているはずです。
ですから、お互いの認識のズレを確認しながら、言葉を交わして気持ちを共有することが何より大切なのです。
人間関係でいちばん大切なのは、コミュニケーションを通じて互いの気持ちを確かめ合い、理解を深めていくプロセスそのものなのです。
言葉を交わさずともお互いのことが分かり合えているかのように思えても、実は全くの勘違いであることがよくあるのです。
そうした幻想に囚われていては、いつしかお互いを深く理解することができなくなってしまいます。
互いの認識のズレに気付かず、深刻な問題を見過ごしてしまう危険さえあります。
親しい間柄ほど、そうした錯覚に陥りやすいのかもしれません。
だからこそ、「言葉を交わし、確かめあうこと」の大切さを自覚しなければなりません。
お互いのことをよく分かっているかのように思い込むのは容易です。
しかし、そこに潜む危険な幻想を認識することが重要なのです。
言葉を交わし合い、確かめ合うことで、お互いの本当の気持ちに寄り添えるはずです。
「分かり合える」という安心感に満足するのではなく、絶えずお互いの理解を深めていく努力を怠らないことこそが大切なのです。
こうして考えていくと、「お互い分かり合えているというのは幻想」という提起は、人間関係において極めて重要な視点を提供していると言えるでしょう。
この言葉は私たちに二つの重要な教訓を示唆しています。
一つ目は、人と人とはそれぞれ異なる個性を持つ存在であり、互いの気持ちは常に微妙に異なっている可能性があるということです。
言葉が交わされなければ、決してお互いの気持ちをきちんと理解できるわけではありません。
年月が経っても、気持ちは変わり続けていきます。
そのため、長年の付き合いでも決して慢心してはいけないのです。
もう一つは、言葉を交わして気持ちを確かめ合い、理解し合うプロセスの重要性です。
コミュニケーションこそが、お互いの気持ちを共有し、深い絆を育んでいく上で欠かせない営みなのです。
互いの認識のズレに気づき、それを埋めていくための絶え間ないコミュニケーションが大切なのです。
お互いに分かり合えていると思い込むのは容易ですが、実は大きな幻想なのかもしれません。
人は一人一人異なり、お互いの気持ちは常に変わり続けているのです。
それを確かめ合い、寄り添い合うコミュニケーションこそ、豊かな人間関係を築く上で重要なのだと言えるでしょう。
この問題提起からは、人間関係における本質的な課題と向き合うことができます。
自分と異なる存在である相手を受け入れること、言葉を交わしてお互いを理解しようと絶えず努力を続けることの大切さを改めて気づかされるはずです。
豊かな人生を送るためには、この教訓を心に刻み、お互いを深く理解し合う努力を怠らないことが何よりも重要なのです。