人生カウント2.9! -山崎篤史-

プロレスが趣味の五十路突入直前薬剤師、山崎篤史が日々生きていくうえで感じたこと、考えたことを書いてます。果たして五十路に光はあたるのか!

成功への近道は感情に支配されない論理的思考!

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おはようございます。

山崎です。

 

 

最近ちょっと思っていることっていうか、悩んでいることがあります。

 

なにを悩んでいるかって…

 

最近物凄く自分が感情に支配されているんじゃないかって思うんですよね。

 

感情っていうか欲望って言った方がいいのかな?

 

感情、欲望ばっかりが先走ってしまうと物事を正確にとらえることが難しくなってしまいます。

 

欲望って絶対必要だと思うんですよ。

 

本当は欲望っていうより目標ってやつですね。

 

目標って物は感情ですよね。

 

そういった感情を持つことは素晴らしいんだけど、そこから派生する感情っていらないんじゃないって話。

 

目標っていう頂を目指すのであれば、目標っていう頂を目指す感情だけ存在していればいいわけで、そこに到達するまでの過程の中で生じる感情って結局頂に上り詰めるうえでの障害でしかなり得ないんですよね。

 

体裁を気にするという感情、よく見せたいという感情、利益を増やしたい、減らしたくない感情…果たしてどれだけ必要なんでしょうか?

 

ここ数日自分の中でその感情が大きくなってきているのに気が付きました。

 

ホントのことを言えば気が付いているんですけど、それでもその感情をコントロールできていない。

 

この感情をコントロールできるようにならなければ、自分の飛躍はないと思ってはいるのですがこれがなかなか難しいです。

 

先日僕の父親からメールが届きました。

 

86歳になるのに凄いなぁって思うんですけど、その中で自分の心に刻まないといけないようなことが書いてありました。

 

そのメールの内容一部抜粋します。

 

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「理論的認識と感情が一致せず苦悩するのは、感情がより原始的で数十万年の歴史があるのに対して論理的認識はせいぜい7万年前のホモ・サピエンスまでにしかさかのぼれられないからだ。

 

ひとは論理的認識を磨くことによって今日の文明と人類の大発展がある。

 

緊急の時は感情を論理的認識の支配下に置かなければ、いつまでも脱出することはできない。

 

ひとは感情をコントロールできないひとを「くよくよするひと」と認識する。

 

現状を論理的に認識できるひとを「頭がいいひと」と呼ぶ。

 

現状を認め、再出発をする自己認識がなければひととして生き残れない。」

 

 

 

自分は今まで、最近は特に成功へのプロセスの中で、感情に左右され一喜一憂…

 

最初に立てた誓いもルールもあったもんじゃない。

 

これってある意味天国への階段を自分で踏み外して堕ちていっている行為そのもの…

 

頭でわかっていると思ってますが、本当は全く理解できてないこと。。。 

 

どうしたらそのような思考を手にすることができるのか…

 

やっぱりトライアンドエラーの繰り返ししかないのかな。

 

そうすることで、感情に左右される事の危うさ、危険が自分の身体に沁みてくるのかなぁって思ってます。

 

対外的には、物事を浅く捉えたら失敗って思う事も、気付かせてくれたと言う感謝の気持ちになれたなら、人生って豊かなものになれるんでしょう。

 

自分は成功したいです。

 

金持ちになるとか、名声を手に入れるとかそんなことではなく(ないよりあったほうが絶対いいですけど)ひととして成功したいです。

 

そのためには論理的な思考で行動する力が絶対的に必要だし、何事にも感謝の気持ち、謙虚な気持ち、生かされてるっていう気持ち…これって感情かな?

 

なにより生きていく上でいい感情、いい論理的思考…これが必要!

 

こういう風になれたらいいなぁなんて甘いこと言ってないで、絶対なる!

 

なってみせる!